群青の都市

第1話

 その春、高校へ入学したわたしを待ち受けていたのは、浮きすぎず、地味すぎず、それでいて
一目おかれそうな趣味の品評会といったぐあいのクラスの様子だった。とくに何も持っていない
わたしにとって、当たり障りない受け答えは、もはや必需品といっていい。
 そんなわたしを、中学の同級生たちは憐れむような目でみていた。心配してくれなくても、
別にわたしは自分の中学生活が、砂を噛むようなものだなんておもってなかった。それなりに
楽しい毎日をおくってるとおもっていた。
 アイドルが好きなグループ、ファッション命の大人びたグループ、いつもおいしいものの話を
しているグループ、そのどれにもなんとなく入っていけなくて、たいてい図書室で本を読んでいた。
それだって、とりたてて本が好きだから、という理由ではなかったようにおもう。たまに泣いたり、
興奮したり、怒ったりもしたけれど、それがなければ生きてゆけないというほどではなかった。
なにもない、クラスの子たちの言葉を借りれば「つまんない人生」に、すこしでも潤いが
ほしかったのだろう。
 でも、みんなのことが嫌いだったわけじゃない。ただ、好きだとも思えないことに同じテンションで
つきあう器用さを、わたしが持ち合わせていなかっただけだ。それぐらいは、自分でもなんとなくわかる。
 たとえば、学校からの帰り道にある土手から眺める夕陽を、「きれいだね」って言いあえる
人がいたらどんなかんじだろう。そんなことを考えるていどには、センチさだって持ちあわせて
いたのだ。たぶん、わたしは、かなしかった。せつないほどになにかを想えない自分が、かなしい。
 だから、高校へ入れば、すべてが劇的にかわるのだと心のどこかで期待していた。自分では
なにも変えることができずにいるわたしに、手をさしのべてくれる誰かがあらわれてくれるんじゃ
ないかって。でも、やっぱり何も変わらなかった。みんな値踏みするような目で、相手のもって
いるものを見極めようとする。初めて会った者同士なのに、どうしてこんなに肚を探りあうのか
わからない。
 わたしは、まだハマるようななにかを見つけられていない。ハマれれば楽しいいんだろうなって
おもうけど、ピンとこない。それは恋のようなもので、わたしがまだ出逢えていないだけなのだろう。
恋は交通事故みたいなものだって、何かで読んだ本にかいてあった。ハマってもいないものにはしゃいで
みせるなんていうのは、エッチがしてみたいから、恋をしてみるようなものだとおもう。そんなのは、
やっぱりおかしい。順序がちがう。大きくなるためだけに食べるご飯は、きっとおいしくない。
 けれどある日の放課後、金言通りに出逢いは突然やってきた。しかも相手は白馬の王子さま、
というわけにはいかなかったけれど。
「ねぇ、武市さん、ちょっといい?」
 まだ入学して間もないこともあり、一瞬相手が誰だかわからなかった。抜けるように色が白く、
手足がひょろっと長い。顔はちいさいのに、子犬のように黒目がちな濡れた瞳や、すこし厚めの唇が
妙に艶っぽい子。緩くウェーヴのかかったロングヘアが、うっすらと茶色い。あぁ、霧原さんだっけ。
なんだか男子がクラス一だ学年一だと騒いでいたような記憶がある。
「いいけど、なに?」
「ここじゃなんだから、図書室につきあって」
 名前も出てこなかった相手から、「ここじゃできない話」を持ちかけられるのがなぜわたし
なんだろう。知らないあいだに、わたしが的にされていたのだろうか。中学時代、それほど陰惨と
いうわけではなかったけれど、たしかにあったいじめを思い出して、背筋が寒くなる。あの頃は、
自分を空気のようにしてその輪の中へ取り込まれないよう身を守ってきた。それなのに・・・。
霧原さんは、そんなわたしの杞憂をよそにずんずん行ってしまう。あれほど可愛い子なのだから、
きっと取り巻きだってたくさんいるだろう。ここで下手に逆らったりしたら、本当にハブられかねない。
わたしは憂鬱な気分になりながらも、彼女が揺らす髪のあとについていった。
 この高校は、県下の公立ではもっとも新しくつくられたらしい。らしいというのは、正直思い入れて
受験した学校ではないために、なにも下調べなどしなかったため、伝聞を通してなんとなく知った
知識だからだ。ただ、ここは受験可能な公立高校のなかで、もっともわたしの家から遠かった。
それがわたしの気を惹いたのだ。こんなに遠い学校なら、同じ中学から受験する人だってきっと
少ないはずだし、なんといっても、堂々と遅い時間に帰宅することができる。うちには父親が
おらず、大学生の兄がその代わりのようなものなのだが、とにかく口うるさく、顔をあわせれば
ひどい悪態をつくので、できれば顔をあわせたくなかった。
 そうしているうち、あまり人気のない新館に、申し訳でしつらえられたような図書室へついて
しまった。中には受付の図書委員と部活動らしき生徒が数人いるだけで、他には誰もいない。
霧原さんは図書委員に目配せすると、そのままずんずん書架の奥へとわけいってゆく。わたしも
あわててその後を追う。
 そしていちばん奥の窓際へ達したとき、彼女はくるりとこちらを振り返り、わたしの目を
じっと見つめた。はっきりと意志のかんじられる視線をまっすぐ受け止めることに慣れていない
わたしは、とたんにどぎまぎしてしまう。顔が熱くなる。そんなわたしの動揺を知ってか知らずか、
霧原さんは切り出した。
「工藤さんたちから聞いたんだけど、武市さん、超古代都市で暮らしていた頃の夢を見たことが
あるのよね?」
「は?」
 あまりの唐突な振りに、思わず素で返してしまった。たしかに工藤さんは最近夢判断に凝って
いるらしく、席の近いわたしもゆうべみた夢の内容を訊かれたことがある。しかし、なんでいま
ここでそんな話がでてくるんだ。状況を飲み込むのに、何秒かかかってしまった。けれど、
霧原さんの目は真剣そのものだ。適当にはぐらかすことなどできそうもない。なにより、わたしは
巧く嘘がつけない。
「あ、あぁ・・・そういえば、そんなこともあったような」
「これ、マジな話だから。具体的にどんなところでどんなことをしていたか、教えてほしいの」
「そう言われても・・・あれはそう、たしかテレビでやってた『アトランティス/失われた帝国』
っていう映画をみた影響で、それらしい本を何冊か読んでいたから、そういう夢をみたんだとおもう。
『ダ・ヴィンチ・コード』ってあったでしょ?あれみてから、なんかそういうのに興味湧いたって
いうか・・・」
「でも、みたり読んだりした内容をそのまま夢にみたわけじゃないんでしょ?その都市で生活していた
実感もあったんでしょ?」
「それはまぁ、そうなんだけど・・・」
 どうしてそんなことが気になるんだろう。しかし言われてみれば、みたこともない都市なのに、
なんだか懐かしいようなかんじがした。まるで、以前そこに住んでいたことがあったような。
でもそれは、幼稚園の頃、引っ越してくる前に住んでいた街の記憶が混入したせいもあるんじゃ
ないだろうか。
「ねぇ、これに見覚えはない?」
 そういって霧原さんは、ポケットから小さなカードを取り出した。それにはなにやら、中東の
文字みたいな紋章らしきものが描かれている。まったく見たことのないしろものだったのだけれど、
わたしはどうやらハッとした表情を浮かべたようだった。なぜそんな顔をしたのか、まったく
わからない。けれど、そこにはなにかがあったのだろう、とおもう。そして、それを認めた
霧原さんの顔色が変わった。
「見たことあるんでしょ!?そうなんでしょ!?隠さないで教えて!」
 両肩をつかまれ、そのあまりの勢いに呑まれたわたしは、咄嗟に首を縦に振ってしまった。
彼女は「やっぱり」と呟くと、熱っぽい目でわたしのことを見つめた。かすかに香水の匂いがする。
わたしはやっぱりどぎまぎして軽く俯き、所在なく組み合わせた指を弄んだ。突然あげられた大声に
驚いたらしい生徒が、ちらちらとこちらの様子を伺っている。霧原さんは声の調子を落とすと、
身をかがめてわたしの耳許に顔を近付ける。彼女はわたしより10センチほど背が高い。耳にかかる
吐息がくすぐったい。
「わたしたち、前世の記憶をもってるの。武市さんはそのことを忘れてるだけで、わたしたちは
たしかに出逢ってたんだよ。これってすごいことだと思わない?ほかにこんな人いないよ、ぜったい」
 ぜったい、という語に力を込めて、霧原さんはそう力説した。なんだか聞いたことがある。
かつて超古代都市を護っていた戦士が、前世の記憶をもつ仲間を探すとかなんとか、そういう話を
真剣に信じている人たち。あまりに荒唐無稽で、信じるとか信じないとか、ハマるとかハマらないとか
いう以前の、そう、ネタみたいな話。そういう人がいま目の前にいて、しかもわたしをかつての
仲間みたいに言っている。あまりにもイタすぎる内容だけに、処世術のセオリーとしては、
ここは引くところなのだろう。そう、わかっている。呑まれちゃいけない・・・。
 そんな思惑を巡らせながら自分が泣いていることに気付いたのは、霧原さんが涙を流しているのに
気付いた後だった。いまわたしは、手を差しのべられている。そうおもった。たぶん誰がどうみたって、
前世の記憶をもっていて、同じような仲間を探している霧原さんは危ない人だ。でもそんなことより、
こんなにきれいな子が、わたしと―彼女の説によれば―再び巡り逢えたことに涙しているこの状況、
それが胸に刺さった。そのとき、自分がずっと寂しかったことにようやく気付いたのだ、とおもう。
涙は途切れることがなかった。
 あれから、数日が経った。意外なことに、霧原さんに特定の友人はいなかったようだ。目立つ人
ではあるから、いつも誰かと楽しそうに話したり笑ったりはしている。けれど、明らかにわたしと
行動をともにすることが多くなった。前世の記憶うんぬんは、確認できただけで満足したようだ。
帝国を復活させたり、世界革命を興したりといった野望とは無縁のようで、あれからその話題に
ついて、一度も話したことがない。
 そういえば、クラスの女子から「あなたたちって、いつの間に親友になったの?」と訊かれた。
霧原さんはわたしの肩に手をおいて、「親友なんてもんじゃないよ。共犯者なんだよね、わたしたち」と
その問いに答えた。その超然とした様子があまりにかっこよかったので、わたしはただ水飲み鳥のように、
「うん」と相槌をうつことしかできなかった。
 下校時は、待ち合わせて必ずふたりで帰る。わたしも彼女も部活には入っていなかったけれど、
掃除や委員会の集まりがあっても、必ずどちらかが終わるのを待つ。約束したわけでもないのに、
自然とそういうことになっていた。ターミナル駅で電車をおりて、わたしはバス、彼女は徒歩。
だから別れを惜しむように、いろんなお店をまわったりした。そしてお互いの呼び名も、
霧原さんと武市さんから藍と蕗香に変わっていった。
 なんとなく話題になっていた占いのお店に入ったとき、占い師があれこれと説明してくれているにも
かかわらず、気のない生返事を返すだけの霧原さんが可笑しくて、つい笑ってしまった。そのときの
「なにが可笑しいのよ」という彼女の目がドキッとするほど慈愛に満ちていて、またわたしは
どぎまぎしてしまった。どうやら彼女が、オカルト全般に興味をもっているわけではないことだけは
伺い知ることができたわけだけれど。
でも、そうして街を逍遥するわたしたちは、とくに見たいものやあてがあってわけではなくて、
ただ離れづらかっただけなのだ。どうせまた、明日も会えるのに。
 けれど夏休みが近くなったある日、あまりの蒸し暑さに涼を求めて立ち寄った喫茶店は、とても
わたしの趣味にあった。雑居ビルの2階に入っているジェーン・マープルという名前のこぢんまりとした
お店で、店主の内藤さんというおばあさんによると、セント・メアリ・ミード村のミス・マープルの家を
イメージしてデザインされた内装なのだそうだ。毎週火曜日には、「火曜クラブ」にちなんで
ミステリ好きの小父さんや小母さんによる会合がもたれているらしい。それを聞いた藍は、
「ぜったいに来ようね」と言ってくれた。どうして藍がぜったいとまで言うのかわからなかったけれど、
わたしの素敵を彼女が共有しようとしてくれているのが嬉しくて、思わず手をとって「うん、
ぜったいね」と答えていた。内藤さんの目には、さぞや微笑ましい光景に映ったことだろう。
「蕗香、やっぱり本が好きなんじゃん」
「そうなのかなぁ。ただの暇つぶしだよ?」
「あんな細かい字の羅列をじっと眺めていられるのがすごいよ。わたしなんか頭痛くなってくるもん」
「わたし、地味だもんね」
「そんなことないよ。わたしには『火曜クラブ』なんてなんのことだかさっぱりだし。わかるのって
せいぜい『火曜サスペンス』ぐらいだよ」
 そんなことを言いあいながら、ふたりで笑った。心が近いとおもえる人とこうして笑いあえることが、
こんなにも満たされた気持ちになることだなんて、いままでのわたしには知るよしもなかった。
決して失いたくない、と強く願った。けれどもどこかで、こんな時間にもいつか終わりがくるのだろうと
いうおもいもあって、そう考えるととても胸が痛んだ。これがせつなさ、というものなのだろうか。


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